君の未来に幸あれ

好きを追って生かされるオタクの備忘録。

“最高の最後”を求めて ラウール1万字を読んで

先日発売されたMyojoに掲載されたラウールの1万字インタビューが、今日の今日まで頭からずっと離れなかった。彼のグループに対する想いが数多く記されていて、読み応えのある内容だった。私が表立ったところ(Twitterやらブログやら諸々)では敢えて言わないようにしていた彼等9人への考えがあって、人によってはもしかしたら不快に思ってしまうかもしれないなぁと思い、意識的にその考えを人前では言わないようにしていた。でも、今回ラウールの1万字の後半を締め括る言葉を読んで、私の中のその考えが確信的になったというか。いや、まぁ、勝手に私が考えている事だから確信もクソも何も無いんだけれども、彼ら9人にどこか心の中で抱いていたその考えが、ここから来ているものなんだなと思えた。やっぱり、この9人って最高じゃないかって改めて思えたので、もし良ければ読んでみてください。

 

 

 

私は彼ら9人に対して、「何だか生き急いでいるように見えるのは何故だろう」と時折感じる部分があった。もの凄い勢いで物事が進んでいく彼等に対して何となく、突然歩みを止めてしまうのではないか、彼等も人間だからふとした瞬間に燃え尽き症候群みたくなってしまったりしないだろうかと、何とも言えない複雑な感情になる事が時々あった。

 

その感情になるとき、必ず若干の不安が私の中に生まれた。それは「消耗されてしまう事」だ。前、10年以上好きだった俳優が、あるドラマをきっかけに売れっ子となり、それまでは脇役ばかりだったのに突然主役に抜擢されることが多くなった。本当に、分かりやすく“売れた”。知名度が上がる度に、増える露出。ファンとしては当時嬉しく思うことが多かったけれども、あるドラマの脚本の一部が「こういう彼をみんな見たいんでしょ?」と言わんばかりのわざとらしい演出やセリフがあり、何だか彼の演技が悪い意味でただただ色物として見られ、彼の演技力が本当の意味で評価されずに、消耗されていくように感じてしまい、無性に悲しくなった記憶がある。まぁ、これはあくまで私が勝手に抱いた感情のほんの一部なだけで、その俳優自身はそう思っていないとは思うんだけれど。彼等9人も、とんでもない露出量ではあったから、世間からそう思われてしまわないか、需要と供給のバランスが崩れてしまったりしないか、そうならないで欲しいと表向きでは言わなかったが、内心は常日頃願っていた。

 

とは言っても、デビューしたてのグループにとってはこれは宿命的なもので、いつ休んでいるのか不安にさえなる位の様々な媒体への露出量。デビュー1年目だからこそ出せる初々しさやガムシャラ感というのはきっとあったと思うし、常にファンを喜ばせてくれる演出や企画をやってくれていて、その全てをリアルタイムで追いきれないくらいだった。ただ、「デビュー1年目だから」とか「売れっ子だから」とかそういうのではなくて、どこか自分たちの事を自ら追い込むような感じにすらなっているのではないかな、大丈夫かなと感じることも多々あった。

 

こう感じてしまう一番の理由は「年齢」だ。世間的にも恐らくアイドルというものは10代の思春期真っ只中の子がやり、ある程度の年齢になったら第一線を退く、というイメージがどうしても強いと思う。でも、彼ら9人は内7人がアラサーで来年30を迎えるメンバーもいる。デビューした当時で既に27歳。遅咲き、という部分もある意味話題にはなったかなとは思う。

 

例えばの話で。10代でデビューをしたグループは、少しずつ経験や年齢を重ねていって、デビュー10周年とかを祝う時に「昔ではなかった色気が出てきたね」等と言われ、ファンも「子供から大人になっていく瞬間」をMVや提供してもらった楽曲で振り返る事ができる。彼等9人に、それが全くできない、というわけでは無いけれども、少なくとも10年後には彼等は殆ど40代を間近に控える年齢になっている。それがある意味、大人の魅力があるアイドルという新たなジャンルになる可能性もあるけれども、もしかしたら、彼等は世間に出る事が出来た“遅さ”を取り戻すかのように活動をしているのではないかと感じることがあった。年齢なんて全く関係無い、と言いたいところではあるけれども、やっぱりどうしてもそうは言い切れない。

 

それでも、彼等が一つ一つの仕事を楽しそうにしているのは、見ている側としても嬉しかったし、わかりやすく大きい仕事が決まったり、売り上げが数字として現れたら誇らしかった。彼等にはとことん、後ろを振り向かず、ただただ自分たちの目標や夢に向かって突っ走っていって欲しいなと最近は常々感じていた。

 

そのタイミングでラウールの1万字を読んで、ここまで私が言っていたことが何となくピンと来る言葉があった。

 

「9人で話し合ったわけじゃないんで、僕が思っている夢なんですけど、いつということじゃなく、たとえば50年後や100年後、いつかはSnow  Manってなくなるじゃないですか。そのとき、Snow  Manという9人グループをいろんな人の記憶の中に残したい。“好きだったな““おもしろいグループだったな“って、いろんな人の記憶の中に残り続けるグループになりたい。それが夢というか目標です。だから、いつか来る終わりのために今を全力でがんばる。」

 

こう話していた。

この言葉を目にした瞬間にもう私は涙が止まらなくなってしまって、ラウールの“アイドル観“というよりも、“死生観”に似たものを感じてしまった。10代かつ、デビューしたばかりのグループの、それもセンターの子が“終わり”を意識した事を発言しているのだ。「これから続く未来に向かって」ではなく「終わりに向かって」とも取れるこの言葉に、何だか妙に私はしっくりきてしまったのだ。

 

以前、投稿したブログに「人は生まれた瞬間、最期に向けて生きていく」と書いたのだけれど、ラウールの言葉はこれに近いものを感じていて、「最高の最期を迎えるためには、今何をすべきか」というある意味、逆算的な考えだなと思った。

 

彼が言う「終わり」と言うのは解散だったりとかそういうネガティブなものではなく、1人の人間としての最期を迎える瞬間までの事を意味していると思うんだけれども。恐らく、周りよりもスタートが遅れてしまったからこそ、1日でも早く夢見る場所まで上り詰めて、その場所で1日でも長く9人で活動をしたいという事なんだろうなと感じた。

 

生きているもの全てにおいて、時間は“有限”だ。正直、世界には“無限”なんて現象はないだろうし、どんな現象においてもふとしたときに終わりを迎えてしまうことがある。だからこそ、限られた時間を目一杯生きることは人間としての本能的な部分でもあるし、“終わり”を意識する事によって、その都度自分にとって一番良い生き方が出来て、人生を全う出来るんだろうな。

 

ラウールは言葉にしてインタビューで発言してくれたけれど、他の8人も同じような事を感じているんだろうな。きっと。

 

生き急いでいるのでは、なんて思ってしまったけれども、彼等は自分たちが最高の終わりを迎えられる為に、ただガムシャラに、ひたむきに突っ走っているだけだった。私の勝手すぎる余計なお世話だった。

 

もう、とことんやっちゃってくれ。やりきっちゃってくれ。

私たちのこと振り回しちゃうくらいにトップギア踏んじゃってよ。

今まで見たこともないような大きな舞台、絶対に連れていってみせるから!