君の未来に幸あれ

好きを追って生かされるオタクの備忘録。

“当たり前の日常“を当たり前に過ごしたいだけなんだ

2021年4月25日。気づけばまた今年も同じことの繰り返しをしていた。

去年、1人っきりで淡々と過ごしていたあの日々が1年越しにまた訪れてしまった。

 

一年前の今頃はあまりにも未知数すぎる得体の知れない新型ウイルスに怯えながら、当たり前だったはずのなんて事の無い日常生活を奪われてしまった。ドラマの撮影もできず、バラエティも致し方なく再放送や総集編のオンパレード。全ての人が探り探りだったリモート収録。どんなに世の中ハイテク化が進んだとて経験の無い物事に対しては、人間誰しもが無力さすら感じてしまう毎日。

 

「落ち着いたら飲みに行こうね!」「絶対遊びに行こうね!」「早くリップ塗りたいね!」明日のことすら分からないというのに、先が見えない数ヶ月後に淡い期待を抱いて胸を躍らせていた去年の春、夏。

 

頑張って我慢すれば、どうにかなると思っていた。と、いうか“そう思わされていた“の方が正しいか。

 

私は元々バンドが大好きで、大学生の頃は毎月必ず何かしらのライブやらフェスに行っていた。当時都内から少し離れた距離の土地に住んでいた為、片道1000円近くかけて小一時間電車に揺られながら学校終わりにライブハウスに足を運んでいた。この間、部屋の整理をしていたときに当時のチケットが大量に出てきて、行ったライブの多さとそれに費やした金額にゾッとしたけれど、それでもやっぱりどれも最高に楽しかったと言うことが全てだった。

 

新木場コースト行った時は夜寒いし、とりあえずライブ終わりの人しかいないすき家で牛丼食べて帰ったな(笑)モッシュに巻き込まれて首もげるかと思ったな(笑)リキッドのあの馬鹿でかい柱に何度泣かされたか(笑)社会人になって大学のメンバーと行ったフェスが大雨だったけど楽し過ぎて、当時仕事で憔悴しきっていたからか最後DJブースで「帰りたくないよ!まだいる!いたいよーー!」と泣き皆を若干困らせつつも酒飲んで踊りまくってたな、DJやついが放ったヤバTのあつまれ!パーティーピーポーであんなに号泣するとは思わなかったな(笑)

 

どんな時も必ずエピソードがあって、直接アーティストが全身全霊で演奏している姿はチケットの金額以上の価値があると思っていたし、その姿を見るために毎日のようにバイトをしていたことも昨日の事のように思い出す。

 

 

 

 

ここ数年で熱を注ぐ対象は変わり、気づけばゴリゴリのオタクになっていた私。近い距離で見れなくても、それでもいいから彼らの一挙手一投足を逃さず目に焼き付けたいと現場に入るため、そして彼らのCDや映像作品を購入するために一生懸命働いていたつもりだ。と、いうよりもそれしか頑張れる理由が無かったと言った方が正しいのかもしれない。

 

やっとの思いで手に入れたデビューコンサートのチケット。ただ、時期がコロナが流行り始めて世界が恐々としている時ドンピシャだった。一度目の中止は辛かったけれど、“仕方ない”と思えたし、延期という点で期待を持つ事ができた。その約半年後、延期していたライブが完全に無観客配信となり、チケットは払い戻しになった。お恥ずかしい話、仕事終わりに帰り道にいい歳して結構ガチな涙を流しながら帰路についたことを覚えている。

 

この頃には最初の感染者確認から半年以上経っていて、日に日に“終わりが見えない状況”なのではないかと思い、大して変わりもしない“新たな日常”にうんざりし始めていた頃だった。ただそんな中でも様々な対策や各々の行動によって、若干ではあるが少しずつ感染者も減り、仕事も生活も何よりもエンターテイメントの世界も以前とは多少違う形であれど楽しめるようになっていた。

 

観客者も演者側も運営側も“絶対にクラスターを出すものか”と、エンターテイメントの世界を何としてでも守り抜くために、あらゆる手段を使って行動していたと思う。実際に、私の知る限りでは大きな会場でやったコンサートやら映画館などではクラスターは起きていない。もしかしたら、感染者はのちに数名出ていたこともあったのかもしれない。ただ、今このような状況に於いては生きているだけで感染する可能性は誰にでもあるのだから、“あの時のあのイベントが”とか、“大型映画館に行って”なんて感染する可能性の中の1つでしかなくて、それをとやかく言うのはどうなのかと感じていた。だって、スーパーとかに買い物行く時の方がよっぽど人同士の距離近いし、不特定多数の人が触れた商品を触れているじゃないか。

 

春には昨年開催出来なかった舞台の幕が上がり、私は行く気満々だった。まぁ、見事に全公演取れず行く機会は逃してしまったんだが(笑)

Twitterでも、当選した人たちのレポを見ることが楽しみだったし、絡んでいる子達が“当たった!”と言っているのを見て良かったねぇと一緒に喜べたし、何よりも有観客で舞台をやれているという現実が嬉しかった。

 

そんな喜びも束の間、再度緊急事態宣言が出てしまい、一部公演が中止になってしまった。それと同時に私の職場も休業となり(都内の同業者の人は殆どそうかな)自宅待機が余儀なくされた。

 

去年とやってることが何一つ変わっていない事への怒りと呆れにも近い初めての感情とに加えて、私の仕事と何よりも大好きで生きがいであるエンターテイメントを“不要不急”の一言で片付けられてしまった気がしてそれが何よりも悔しかったし、何のための1年だったんだと絶望にも似た何かを感じてしまった。クソみたいな世界だなと。そりゃ、私が売っている商品は生活必需品ではないし、舞台だって世の中の人全てに必要なものではない。けれど、少なくとも、その仕事で生活費を稼いで、その生活費を稼ぐための糧が舞台だった私にとっては結構酷な現状だった。私にとっては両者とも“不要不急”ではないんだ。

 

さっきスーパーの件を書いたけれども、私の所属している職場もそれなりに人の流れはあったし、混み合うこともあった。ただ、そんな中でもクラスターを出さないように会社全体で取り組んでいた。毎日のように満員電車に揺られながら、接客業をしても今のいままでかからなかったという事実もある。

 

それなのに、こんなにあっさりと、更に言うと余りにも急すぎた。もちろん1日でも早く行動をしければいけないのは理解はしているし、そうしないといけない。ただ、物理的に可能な範囲というのがどうしてもある。こちらだって商売なのだ、様々な人との約束や確認しないといけないこともある。リモートが普及したとしても全てがそれでできる訳ではない。めちゃくちゃ言い方が悪いし、語弊を招かれるのは承知の上で敢えていうけれど、“仕事、なめんなよ“と感じた。ただ、仕方ないことだと受け入れるほかなかった。だって、こうなることは誰だって全く望んでいない現実だから。少しでも今のこの状況が良くなるのであれば、と思い協力する他なかった。

 

ちなみに営業休止前の前日は予想以上に混んで、休憩も出れず残業も1時間以上やってヘトヘトで帰宅した。人の流れを止めるとは・・・(笑)

 

 

今回、この緊急事態宣言による中止公演は、突然の払い戻しということで若干ファンが荒れていた。まぁ、気持ちは分からんでもない。そりゃ突然だったもの。そりゃ会いたかったに決まってる。ただそれと同時に、私が泣く泣く払い戻しをした時のツアーの時って荒れたっけ?とふと考えた。私の肌感覚ではあるが、多分荒れてなかったと思う、私が知らないだけなのかもしれないけれど。次の公演を優先的に当選させろだの、対応がどうこう、結構攻撃的な内容も見受けられた。いや、そんなこと言ったら私の無効になったチケットだってそうして欲しいよ(笑)とか思ったし、国からの要請で、運営側だって“お金“と“命”どちらもかかっている中で、泣く泣くやるしかなかった判断だろう。私の推測だし、専門家でも何でもないけれど、きっとこの状況がふとした時に攻撃的になってしまったり、目には見えないウイルスではなく、“目に見える人間”を標的にしてしまいたくなったんだと思う。何が悪いとか、はたまた誰が悪いとか、そういうことではないと思う。何を考えようが、人それぞれの自由なのは承知の上で、今この状況だからこそ、故意のない人を対象にましてやSNSなど様々な人の目に触れる環境で攻撃とも取れる発言をするのは、何だか寂しくなってしまった。その行動や言動を丸っ切り否定はしないけれど、少なくとも“肯定“もしないと思ってもらえれば何より。“推し”の行動や言動を全て肯定しろとは言わない。けれど、こういう状況だからこそついそうなってしまった人がきっと多いんだろうな。目に見えないものや終わりの見えない現実は、時には人間を変えてしまうんだろうな。悲しいけれど。

 

 

仕事終わりに一杯だけ!とか言いつつ、結局終電まで飲んでしまう日。

暑い日にカフェでテイクアウトしたアイスコーヒーを飲みながら散歩をした日。

“そのリップ可愛い〜!“と友人のメイクを見てはしゃぐ日。

何も気にすることなく、生まれたばかりの友人の子供を抱ける日。

そして、もうしばらく会えていない親の顔を見に実家に帰れる日。

 

数年前まで当たり前だった“日常”はいつ戻ってくるんだろう。withコロナなんて世間では言ってるけれど、やっぱり改めていまこの状況って異常だよ。こんなことに慣れたくない、というよりも慣れちゃ駄目だ。

 

来月、再来月、半年後、1年後、果たしてどうなっているんだろう。案外あっけなく終止符を打ったりするもんだろうか。それに越したことはないけれど。

 

こんなに悔しい事ばっかりのオタク生活になるとは思わなかったけれど、不思議としんどいと思わず、あいも変わらず毎日大好きな人たちの映像を見てニコニコしている自分がいる。根拠も何もないけれど、何となく、何となくいつかは会える気がしてるんだよね。根拠のない自信って、時には大切なのかもしれない(笑)誰とも会えず、1人でいる時間が多い分、自分の精神衛生と機嫌は自分でどうにかしないといけない。ある意味、この1年弱で身につけた生きる術の一つかもしれないなぁ(笑)

 

 

日々健やかに大切なものを愛でていれば、少し荒みかけた気持ちも気休めかもしれないけれど多少は落ち着くはずだ。

 

来年の今頃、「いや〜、流石にしんどかったな〜!」と言いながら、友人たちと居酒屋でワイワイお酒が飲めたら幸せだな。なんて事ない、当たり前のはずだった日常を夢見ちゃう、そんなグループ結成9周年記念日の今日このごろ。